イギリスのR大学に留学していた近視読者ことミコーバーの日々の生活を描いたブログ。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

必死さとは何か
2011年08月12日 (金) | 編集 |
違和感を、感じていた。


本日の高校野球の第二試合、智弁学園対鶴岡東である。


ゲームは息詰まる投手戦の末、2ー1と智弁学園がリードして、9回を迎えていた。。

この試合、両チームのエースは見事な投球術ピッチングを見せた。
智弁のエース青山投手は、右投げの2年生である。
ストレートはMAX146キロ。切れ味の良さそうな140キロ台のストレートを連発したのに加え、スライダーとチェンジアップを駆使して、鶴岡東の打者陣をねじ伏せていた。
私の目には、肘が前に出ないように見えたが(つまりいわゆるアーム式)、基本的にレベルの高い投手であることに疑いの余地はない。来年が楽しみである。

一方の鶴岡東のエースは三年生サウスポーの佐藤投手。こちらはストレートは130キロ未満ながら、投げる際に手を頭の後ろに隠し、球の出どころを見えないようにすることで、打者のタイミングを外し、強力智弁打線をわずか2点に抑えた。全く違うタイプの投手による投手戦、というのはなかなかに面白いものである。


そんな試合なのに、何が違和感だというのか?


それは、鶴岡東の選手の姿である。


姿に違和感、といっても、もちろんユニフォームを裏側に着ていたとか、そういうことではない。
そのような物理的な違和感ではなく、もっと精神的なものだ。


9回、1点リードされた状態で彼らは攻撃を迎えた。
にもかかわらず、打者たちの姿から、

「何としても追いつくぞ!!」

という気迫のようなものが全く感じられなかったのだ。
やる気がないというのとは違う。なんというか、淡々としているのだ。

例えば9回のイニング先頭の4番打者。
彼は、あっさりとストレートを3つ見逃して、たった三球で見逃し三振に倒れた。最後の球がストライクとコールされた瞬間、彼は打席でがっくりと膝を着くでもなく、ただバットの真ん中あたりを腕で掴み、少し名残惜しそうな風ですごすごとベンチに戻って行った。

続く5番打者、なんとしても塁に出たい打者であるが、こちらは外角のスライダーに対しポンと合わせるように、かなり無造作にバットを出して、浅いフライに倒れた。


ここまで、わずか4球である。


続く打者は初球をフルスイング。これが左中間を破ってツーベースヒット、同点のチャンスを作る。
しかしここも、なんというか、あっさりと打ったなあ、という印象で、何としても追い付いて勝つぞ、というものは感じられなかった。

不思議なもので、守る側の智弁守備陣も同様であった。この、一打同点という大ピンチにおいて、当然ベンチは守りのタイムで伝令を送ったのだが、見ていてなんとも和やか。とても、ピンチ、という雰囲気は感じられなかった。攻撃側の空気が伝染したような、そんな感じであった。

面白いもので、結果的に最後の打者となった続く打者は、これまでの打者たちとは180度違う、気迫を見せまくるタイプの選手だった。この選手は多少カウントを作った末に、最終的には打ち取られ、かくて2ー1で智弁学園の勝利となった。


上述したように、高校野球というと、終盤リードされたチームは一種悲壮感すら漂わせながら攻撃し、そして守る側は守る側で、この試合に人生の全てがかかったような体で、そのリードを守ろうとする、そういうものだと思っていた。従って、今日の試合には、こういうチームもあるんだなあ、と、いわば新鮮な驚きとでもいうようなものを感じたのである。


断っておくが、鶴岡東が必死にやってない、というような、アホな事を言うつもりは毛頭無い。必死にやっているのは当然なことであって、ようはそれが見ていてわかるか分からないか、ただ、それだけのことである(さらにいうなら、この場合は、見ていて「私に」わかるか、わからないか、というだけの違いと言える。)
一言でいうならば、必死でやるだけが全てではないと思わされる、一種高校野球を超越したようなチームだった。

Posted from DPad on my iPad
スポンサーサイト

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。