イギリスのR大学に留学していた近視読者ことミコーバーの日々の生活を描いたブログ。
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勝利の価値は
2011年07月15日 (金) | 編集 |
正直、茶番もいい加減にして欲しいよな、と思う。

大ベテラン大関魁皇の事だ。


魁皇は今日、今場所二勝目をあげた。この勝ちは、単なる白星以上の重みを持つ。何故なら彼はこの勝ちで、幕内通算1046勝という、歴代新記録を打ち立てたからだ。以前の記録保持者は大横綱だった千代の富士であり、その途轍もない記録を破った事になる。

しかし、大の魁皇ファンという一部の相撲ファンを除き、今回の快挙に心を驚かせている相撲ファンは少ないだろう。なぜなら、魁皇の姿、姿勢ともいうべき物があまりに美しくないからだ。

や、といっても、もちろん私は彼が人間として問題がある、といっているのではない。彼の人間性の高さはよく知られているところである。朝青龍すら、一目置いていた、という事実がその事を如実に物語っている。また、若い頃相撲部屋に見学に行ったらとても親切にしてもらい、断わりきれなくなって入門した、というエピソードは彼の人柄がよくわかって面白いと思う。

しかしそれでも、今の彼は美しくない。人間としてではない。力士として、である。


彼はいつ引退してもおかしくない力士である。一時の豪快さは度重なる故障でなりを潜め、全く粘りもない。毎場所、ギリギリのところでなんとか勝ち越して地位を保つ、という事を繰り返す有様で、とても大関とは思えない。野球に例えれば、二百勝を目前にして、ただ記録だけの為に投げ、早いイニングでのノックアウトと、五回四失点での勝ち投手というピッチングを繰り返す、そんな感じだ。

野球であれば、まだよい。迷惑がかかるのは基本的にそのチームとそのファンだけだからだ。しかし、相撲ではそうはいかない。彼がボロボロの体で、しかしギリギリのところで地位を維持しながら相撲を取り続けることで、八百長の存在という、相撲界全体に関わる問題さえ浮上してくるのだ。

また、大相撲という、単なるスポーツではなく、精神性の高い競技において、このようなどこぞの総理大臣を彷彿とさせる行動を取られるとしらけてしまう。あの、テレビをつければ大体勝っていた千代の富士と、数字でならんだとはいえ、雲泥の差があるのは明らかだ。

ファンの中には、もっと記録を伸ばして欲しい、という声もあるようだ。そういう声が上がること自体、彼の人柄、人気をよく表してはいると思うが、
彼が現役にしがみつく限り、相撲界は前にちっとも進めないと思う。さながら、前田、緒方、野村、西山、そして佐々岡がいつまで経ってもレギュラーを張っていた、ほんの少し前の広島のような物だ。

広島がブラウンという外国人監督の手によって、若返りに成功したのと同様に、相撲界も外部の力を本当に利用して、変わるべき時はとっくに来ていると思う。

もっと書きたいが、時間が無いのでこの辺で。
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