イギリスのR大学に留学していた近視読者ことミコーバーの日々の生活を描いたブログ。
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衰えとは何か
2011年05月26日 (木) | 編集 |
朝日新聞に、西村欣也というスポーツ記者がいる。

長年にわたり、野球を中心としたスポーツエッセイを紙面に掲載しているベテランである。

私が野球に関心を持ち、よく見るようになったのは96年のこと(つまり今から15年ほど前のこと)であるが、当然西村氏はその当時から記事を載せており、野球駆け出しで無知だった私は、それを見ながら「ほー」と唸っていたものである。

その西村氏が、最近どうもおかしい。


いや、なにも「おかしい」と言っても、


「ハーーーハハハハっ。フヒャヒャヒャヒャヒャ!こ、、こっれっは、傑作っっっ!!」


という、そういう「おかしい」ではない。


私の「おかしい」は、多少意訳して言い換えるならば、


「衰えた」


という表現になる。

最近の氏の文章を読んでいると、どうにも筆力の衰えを感じて仕方がないのだ。

どのあたりにそれを感じるか?

氏の文章を良く読んでいる人はよくわかっていることと思うが、一種の構造というか、パターンがある。まず冒頭に、ばーんと格好の良い一言、あるいは、人の台詞を入れる。その次に、少し範囲を広げて状況を説明し、その件に関する自分なりの見解を述べる。いくつかの種類があるが、基本はこのパターンである。

これは、今も変わっていない。

しかし、その中身は以前とは別物、と言っても良い。

たとえば最近の例を挙げてみよう。氏のもっとも新しい記事は、横浜が獲得した中村紀洋に関するものであったと思う。

知っての通り(といっても野球通以外は知らないかもしれないが)、横浜ベイスターズは打線を強化するため、昨年オフに楽天を解雇されて以降、どこからもお呼びがかからず浪人中であった通算378本塁打の大砲、中村紀洋を獲得した。賛否両論のこの補強に関して、西村氏は当然のように筆を取った。冒頭は彼らしく、いきなりキャッチーな仕上がりになっている。
曰く、

「砕け散ったプライドを彼はもう一度拾い集めることができるか?いや、それはもう、プライドという形をとどめていない、砂のようなものかもしれない」


陳腐かもしれないが、あまり野球評論では見かけることのない、とても凝った文章だと言うことが一目でわかる。


「星野、極秘渡米!!」


と、矛盾を抱えまくった見出しを載せているスポーツ新聞の記事などとは、一線を画する存在である。

このあたりは昔と変わっていない。

彼の論を要約するとこうなる。中村は引退することもできたが、そうするつもりはなかった。育成枠という、非常に条件の悪い契約でも良いからと主張していたが、取るところはなかった。彼は野村監督から以前送られた、「高下在心」、心次第で上昇も下降もする、という言葉を大切にしており、まだやれると強く思っていたからだ。彼の経験はまだ生きている。これから彼とチームがどうなるか、注目したい。

まあこんな感じである。
基本的には、高下在心という言葉を胸に、プライドを捨ててがむしゃらに頑張るつもりの中村が、横浜というドベチームをどう変えられるか、ということが言いたいのだろう。

しかし、である。私にはこの記事が気に入らない。

たとえば、プライドの下りだ。
氏は、どうやら「プライドを捨てた」彼に注目しているらしい。そして、その点を、「形のない砂のようなもの」だとか、あるいは「バットを置くことはしなかった」「育成枠でも」「高下在心」などと言った言葉で強調している。

しかし、である。私には、どう考えても中村が「プライドを捨てて頑張っているようには見えない」のだ。
たとえば、トライアウトである。プロ野球では、11月に合同トライアウトというものが行われる。ここでは、各球団を戦力外になった選手が集まり、各球団の編成担当者の前で試合形式のプレーを見せる。そして、まだやれるところをアピールする、というものである。

中村は、このトライアウトに参加しなかった。

なぜだろう。

中村は、昨年終盤に何度めかの故障を発生させ、試合にでていない。当然、編成担当者は彼の故障が完全に治っているか、また治っているとして、どの程度プレーできるか、ということに注目しているわけで、このトライアウトという場で健在ぶりをアピールすることには大きな意味があるだろう。

しかし、それでも彼は参加しなかった。

なぜだろう。

私にはどう考えても、彼のプライドが「形のない砂のようなもの」になっていないから、としか思えない。

実績のある選手がトライアウトに出る、というのは、それなりに勇気のいることである。
それはそうだろう。新聞の一面を何度も飾ったような選手が、一般人の名前も知らないような選手に混じって、同じ「クビになった者」としてバットを握り、ボールを投げるのだ。強い自負心を持つプロフェッショナルほど、嫌がるであろう。

たとえば元阪神の今岡である。1年前、阪神を解雇された彼はトライアウトに参加した。これを指して、岡田オリックス監督が、

「あんな一流選手に恥かかせおって。」

と阪神球団を痛烈批判したというのは記憶に新しい。
(注:念のために言っておくが、岡田が言いたいのは、「そのまま引退するよう球団幹部が全力で説得すべきだった」ということである。トライアウトのシステム、あるいはトライアウトに出た今岡を批判しているのではない。)

しかし、彼は参加した。そして、最終的にロッテのキャンプで二度目のテストを受け、ロッテに入団したのである。

編成担当者が見たいのは、先ほども言ったように、この選手がどれくらいやれるか、ということである。だが、実績のない選手ならいざ知らず、実績のある選手の場合、だいたいどれくらいの仕事ができるか、という予想は難しくない。体力で若手に劣っていようとも、技術、経験というなかなか錆びない能力が彼らにはあるからだ。とすると、編成担当者がベテランについて見たいのは、故障の治り具合ともう一つ、選手の「心」と言っても過言ではないだろう。この選手がどういう気持ちでプレーを行い、それが自分のチームにどう影響するか。それを見て、彼らは獲得、不採用を上司に進言するのである。

中村がトライアウトに参加しなかったのは、やはり心の中に、


「なぜ俺ほどの男が、あんなもんに出なあかんねん」


という気持ち、


「中村ノリブランドを、近鉄で終わらせて良いのか」


と言い放ったときの気持ちがあったからではなかろうか。そして、その気持ちを察したからこそ、どの球団も獲得には動かなかったのではないだろうか。


少なくとも、彼の行動を見る限り、「プライドを捨てている」と解釈するのは「かなり無理がある」ように思われるのだ。
(注:以下を読んでいただけるとわかることと思うが、別に私は中村がプライドを持ち続けていることを批判しているわけでは全くない。それは、プロとしては当然であろう。)


長い話になったが、私が西村氏の衰えを感じるのは、まさにこの部分なのだ。
氏の文章は、基本的にかなり大胆である。これは、氏が長嶋茂雄に言われた、


「プロは見られることを意識してプレーしているのですから、あなたのレンズに映ったままの彼らを描けば良いんです。それが正しいか間違っているかなんて、機にしなくて良いんです」


という、なかなか炯眼な言葉に起因しているようだ。

それはそれで良い。うちの業界でも同じようなことが言えるからだ。そもそも、大胆な方が読む側は面白い。

だが、これは、「嘘を書いてもいい」、ということでは決してない。
一見怪しい、ほんまかいなと思うような出来事を、巧みな論証とレトリックによって、

「ぱっと見るとこうは思えないかもしれないけど、でもこういう見方をすると、こういうことも言えますよね!」

と、読む者を説得する。
そういうことが必須になる。

しかるに現在の氏の記事は、大胆さを失った面白味のない記事か、今回のような、大胆と言うより、事実にほとんど根ざしているとは言えない無謀な記事、の二つが目立っている。
ゆえに、衰えを感じてしまうのだ。
長い間氏の文章を楽しんでいる人間としては、これが悲しい。


最後に、今回の記事での氏の言葉を引用しておきたい。


「時はすべてを奪い去っていくわけではない。時が与えてくれる経験がある。」


これを、氏自身にも当てはめていただきたいところなのだが。。。
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