イギリスのR大学に留学していた近視読者ことミコーバーの日々の生活を描いたブログ。
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南へ
2010年07月03日 (土) | 編集 |
気がつけば7月。こちらに来て、もうすぐ10ヶ月になろうとしている。月日の経つのはなんと早い、というのは、近年の口癖なのだが(ということは、年をとったということか)、今まさにそんな気分である。論文を書きながらも、ああ、もうすぐ帰らないといけないんだなあ、とつい思ってしまう。なんともセンチメンタルな日々である。

とはいえ、なにはともあれ論文を書き上げなければ帰ることも出来ない。日々これ、論文である。


そんな中、既に書いたように、先日の火曜日に、イングランド南部のポーツマスに行ってきた。目的はディケンズ縁の地を尋ねる観光旅行。マイケルの友人というポーツマスの先生が、案内役を買ってでてくれたのだ。こういう機会は大切にせねばならない。そういう決意を胸に、太陽光が降り注ぐ中、しっかりと堪能してきた。
今日はその日の流れを。


私の住んでいるところからポーツマスまで、電車で大体1時間半から2時間かかる。約束の時間は12時過ぎ。ということは、10時頃の電車には乗らねばならない。私が予約したのは10時4分の電車。というところで、逆算して6時50分に起床する。朝食と一緒に、電車の中で食べる昼食のサンドイッチをチャチャチャと作る。

朝食、その他の作業に特に手間取ることはなく、順調に9時過ぎに寮を出る。駅には9時半頃に到着。予約したチケットを引き取り、売店に行ったりして時間を潰したあと、9時55分頃にホームへ行く。いつもと方向が違うため、初めてのホームだったが全く問題なく電車を発見。席も無事見つけて座り込む。さて、これで50分ほど揺られていくかな、と、持ってきた自分の論文を取り出す。ところが、ふと気がついた。いつまで経っても電車が発車しない。10時10分を過ぎた当たりで何やらアナウンスが。っと、一斉に立ち上がって外に出る乗客。何を言ってるやらよく分からなかったのだが、二度目のアナウンスによると、何やらトラブルがあったようで、この電車は出発しないらしい。なんじゃそりゃ。「インフロントの電車に乗ってくれ」と言われ、外に出る。迎えに別の電車があるのだが、これは違う。さて、どうしたものか、としばらく待っていて、ようやく意味を理解した。実は、この「発車しない電車」の止まっているホームに前からもう一台電車がやってくることになっているようで、どうやらそれに乗り込め、と言っているらしい。インフロント=前の電車、まあ確かにそうではある。

10時20分ごろになってようやくその電車がやってくる。これに乗り込み、ようやく私の旅がスタート。やれやれ、ようやく一息である。とはいえ、何があるか分からない。というわけで、論文を読むわけにも行かず、アナウンスと窓の外の風景(主に駅の名前)に注意しっぱなしだった。


さて、この旅行では、私は1度乗換をしなければならない。当初の予定では、15分強の待ち時間があり、余裕で間に合うはずだった。ところが、私が今乗っている電車は、実に17分遅れの電車である。うーん、微妙。。。これで連結ミスったらどうしよう、先生に連絡しないといけないかな、などと思いながら、その乗換駅へ。ダッシュでそちらのホームへ向かうと、、、

なんと、まだ私が乗る予定の電車が!ラッキー、どうやらこの電車も少し遅れていたらしい。これは助かった、とばかりにボタンを押して(こちらでは、物によっては電車に乗るには自分でボタンを押してドアを開けねばならない)、中に入り込む。隅の席に座り、やれやれ、とほっと一息。


ところが、である。この電車もまた、全然出発しない。むしろこの電車のほうがさきほどの電車より酷いくらいである。仕方ないので、とりあえず窓から一枚駅の写真を撮ってみる。


2010070301


駅の写真、というよりも、iPadの広告の写真である。iPad、ちょっと欲しい今日この頃である。ただ、iPod touchで十分代用が効きそうな気がしないでもない(そして、帰国したら、Touchを買う予定)。


そうこうしていると、またまたアナウンスが。曰く、信号トラブルで遅れている、とのこと。更に追い打ちがあり、この電車はどこどこいきですが、このトラブルに伴い、どこそことどこそことどこそこ駅は、止まりません、とのこと。おやまあ、そんなことがあるんかいな!驚いた前のご婦人は、即効で電車を降りていた。全く、イギリスの電車には驚かされる。


更に待つこと10分ほど。ようやく出発。ところが、出発したら出発したで、これが大変。なんというか、一向に駅に到着しないのだ。あとで分かったのだが、信号トラブルで当初のルートが使えなかったため、迂回ルートを利用したらしい。日本の鉄道ではまず考えられない方策だが、こちらでは普通に行われるようだ。そのため、12時に付く予定だったのに、目的の駅についたら実に12時50分、約2時間50分の旅行になってしまった。


それでもなんとか駅に到着。一応、ここでも一枚写真を撮ってみる。


2010070302


はっきり言って、駅の名前を示すだけで、この写真には他に意味はない。

急いでホームを出て、改札に向かう。改札をでたところで、白髪、白ひげの紳士が。年齢的に考えて、この人かなあ、と思ったところ、向こうから、


「Mister~~~(私の苗字)?」


と言われる。その通り、遅れてスイマセン、と言うと、ちゃんとチェックしておいたから大丈夫、とのこと。なるほど、ここからは電光掲示板が良く見え、そこには電車の運行状況が詳細に示されていた。この手のトラブルに慣れっこのイギリス人からすると、さほどのことではなかったようだ。

先生の車で早速、我々はまずポーツマスのディケンズミュージアムへ。

ディケンズミュージアムはロンドンにもあり、そちらに行った際の感想は12月のブログに書いていたと思うが、そこは彼が幼年時代に暮らした場所である。一方、このポーツマスの家は、彼が生まれた家であり、まさに彼の生家と言って良い。ここもまた、別のミュージアムになっているのである。外観はこんな感じ。


2010070303


ちなみに、煉瓦色の方である。

近づいてみると、流石にミュージアム、説明書きがしてある。


2010070304


公共のミュージアムと異なり、こういう場所には当然入場料がかかる。ここの場合、3.5ポンド、学生で2.5ポンドらしい。

家に入ろうとすると、何よりもまず、美しい花壇が目に入る。


2010070305


先生曰く、ディケンズが好きだったゼラニウムが、常にこの花壇を飾るようになっているらしい。

かつての召使の通用口であった地下入り口に入ると、そこはミュージアムの入り口。ここでお金を払い、いよいよ内部の見学を開始する。
内部には、ディケンズ家のダイニングルームやベッドルームなど、当時を偲ばせるいろいろなものがあった。そんな中、特に私の注目を引いたのが、この家具。


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カウチ、すなわち、長椅子である。
長椅子そのものは、別に驚くに値しないアイテムである。しかし、この長椅子にはかなり重要ないわくつき。それは、



ディケンズはこのカウチの上で亡くなった



なんともまあ、これ以上ないくらいに凄い、いわくである。彼が生まれた家を使ったミュージアムに、彼が亡くなった時のアイテムが飾ってある、というコントラストがまたたまらない(註:そうなったのにはいろいろ訳があるのだが、長いので省略する)。


ミュージアムをあとにした我々は、続いてセメタリー、つまり墓地へ向かう。ここには、ディケンズと縁の深い人物の墓が沢山あるらしいのだ。


2010070307


イギリスらしい墓地ではあるが、当然ながら、華やかな場所ではない。

そんな場所で最初に案内されたのは、言わずと知れた、ディケンズの愛人、エレンターナンのお墓。


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エレンターナン、という名前が、石に刻まれているのが分かるだろうか。ちなみに、その上に別の名前が書かれているように思うかも知れないが、これは彼女の結婚後の姓名である。知っている人は知っている、知らない人は知らないネタであるが、ディケンズの愛人エレンターナンではあるが、両者の関係はどうやらほとんど一方通行だったらしく、エレンの方は、この年上の有名すぎる愛人のことを、少し厄介に思っていたらしい。そして必然的に、彼女はディケンズの死後、すんなりと別の人と結婚してしまったわけである。


エレンターナンの墓がここにあることさえ知らなかった私であるので、次の墓もまた、この場所にある、と知った時の驚きは大きかった。


2010070309


マライアビードネルの墓である。名前を聞いてピンとくるのはディケンジアンだけであろうが、マライアビードネルとは、ディケンズの初恋の人であり、彼女との失恋が、一種のトラウマのようなものを与えたと言われている、重要な人物である。彼女も当然、別の男性と結婚したわけだが、ディケンズの最初の恋人と最後の恋人、言い換えれば、First love and last loveが、同じ墓地に眠っているのだ。それがどうした、と言われればそれまでではあるが、こ事実に、我々としては面白みを感じないわけには行かない。


続いて先生は、私を海軍のドック、つまり軍港跡へ連れていってくれた。
その道中にはこういうものも。


2010070310


私自身知らなかったことだが、このポーツマスはディケンズのみならず、シャーロック・ホームズも生まれた場所なのである。とはいえ、ホームズが文字通りこの街で生まれた、というのではない。原作者コナン・ドイルが、最初のホームズ物、つまり、緋色の研究を書いたのが、この場所だ、というのである。我々はつい、ホームズの住所=ベーカー街221B、と考えてしまうが、彼が本当の意味で生み出されたのは、ロンドンではなく、ポーツマスだったわけだ。


気をとりなおして軍港へ。
この場所が何故重要かというと、ディケンズの父親、借金で有名な(おい)ジョン・ディケンズは、海軍の会計担当として働いていたためである。彼が働いていたという事務所は、今でも残っている。第二次大戦中にポーツマスは相当空爆を受けて破壊されたそうだが、この建物は幸運にもしっかりと生き残ったらしい。彼が働いていた、と言う事実は、このような看板からも伺える。


2010070311


普通、我々が見れるのはここまでなのだが、どうやら私を案内してくれる先生は、このあたりでは顔見知りらしい。というわけで、明らかに関係者以外立ち入り禁止という雰囲気の漂う事務室にずかずかと私を連れて入り込み、中を案内してくれた。おかげで、こんな写真まで撮ることが出来た。


2010070312


監獄?
いやいや、そうではない。ジョンが、会計係として働いていた、ということは既に述べたが、まさにこのオリのようなモノの向こうに、お金が保管されていたのである。いわば、昔の金庫である。昔の映画などを見ると、特に昔の銀行では、こういうオリのような柵があり、その奥に更に金庫がある(あるいはその逆?)、という構図を見かけることがあるかも知れない。この金庫は、まさにそのパターンなのである。


この金庫を見たところで、だいたい本日の観光は終了。
先生と熱い握手を交わしたあと(情熱的な先生だった)、そのへんをブラブラと見回り、帰路についた。


しかし、行きに比べて、帰りの電車のなんとスムーズなこと。
ルートが違い、もともと1時間40分程度の旅程だったのだが、全く遅れることもなく、非常にスムーズに運んだ。おかげで、電車に乗り込んだのが4時20分頃、街に着いたのが6時頃、という、理想的な帰路となった。

暑い中、熱い先生と一緒に街を回り、非常に疲れてしまったのは事実であるが、非常に貴重なモノをいくつも見ることが出来て、充実した一日となった。



タイトルは、昔あった『北へ』というゲームのもじり。恋愛シミュレーションだと思うが、やったことがないので全く分からない。完全なタイトル先行である。
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