イギリスのR大学に留学していた近視読者ことミコーバーの日々の生活を描いたブログ。
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線と線
2010年05月11日 (火) | 編集 |
今日は大学でエミリー・ディキンソン関連の講演があったので、専門とは違うが、こういう場でこそなにかインスピレーションが得られるかも知れないと思い、ためしに出てみた。MAの学生は私を含めて3人、と、盛況な集まりではなかったが、教師陣はかなりの数が来ており、結果として結構盛り上がっていた。今回の話はディキンソンの伝記を出版している著名な研究者の女性によるもので、原稿を読むのではなく、メモを見ながら話をする、という点が、これまで聞いてきた講演との大きな違いだった。が、正直最初の方は編集者の名前を列挙するだけ、後半でも話が真っ直ぐすすむというより、あっちへふらふらこっちへフラフラ、という感じで、まず我々がやったら怒られるスタイルの講演だった。いつも思うことだが、こういう感じの話が許されるのはうちの業界くらいであろう。おそらく理系の学会でやったら総スカンを食らう。

但し、非常に感じの良い講演者であったことは付記しておく。


あと一点、一つ面白いことが分かった。ディキンソンは非常にパンクチュエーション、つまり、句読点にこだわりを持っていた、ということなのだが、中でもとりわけ「-」つまり、ダッシュの多用にその特徴がある、というのである。覚えている人もいるかも知れないが、オースティンにおけるダッシュについては、すでに「画伯」が修士論文において研究済みで、論文も学会誌で公開されている。ただ記憶が確かなら、研究は基本的にオースティンに限定されていたはず。しかし、今回の講演を聞いて感じたのは、おそらくこの手の句読点に対して意識するのは、長い文章を書く小説家よりも詩人の方が多いと言うこと、必然的に、ディキンソンのような詩人のパンクチュエーションに関する研究は案外なされているということ、そしてこれらの先行研究を小説家の研究にも当てはめた上で比較検討することで、なんかサムシングが見えてくるかも知れない、ということである。

もっとも、今の私はそれを研究するゆとりがないが。ついでに、基本的に作品比較がNGのK大学英米文の修士論文では難しいテーマでもある。



しかし最近、どこも行っていないせいもあるが、あまり参考になりそうな話を書いていないので、明日辺りは最近お気に入りのYoutube動画でもご紹介するとしよう。



タイトルの元ネタは、松本清張の小説、「点と線」より。
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コメント
この記事へのコメント
>基本的に作品比較がNGの

・・・知らなかった!
それは試問で失笑されるはずですね。
ひとりの作家における作品比較とはいえ、
テクスト6つも扱ってしまいましたから。はは。
2010/05/11(火) 13:06:33 | URL | Shoji #-[ 編集]
Re: Shojiさん
ちゃんと合格してるんだから問題ないですよ。

基本的に、「まだ早い!」というスタンスのようです。

もちろん、一作品が短い詩などは例外ですし、他作品に言及すること自体も問題ありません。要は、比較をメインに持ってくるのは100年早い、ということで。
2010/05/11(火) 13:28:36 | URL | Micawber(ミコーバー) #-[ 編集]
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