イギリスのR大学に留学していた近視読者ことミコーバーの日々の生活を描いたブログ。
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近視読者的英国留学豆知識準備編「留学で三番目に大切なもの」Part1
2010年04月03日 (土) | 編集 |
ランキングの続きである。

ところが、実はこのランキング、3位までしか考えていなかったりする(おい)。というのも、それ以外に準備でポイントとなること、というのが、全てある意味に置いて枝葉なものばかりで、ランキングに挙げるようなものではないからだ。
というわけで、このランキングはここまでにして、これ以降は別のポイントに付いてお話することにしよう。

だがとりあえず、今日はランキングである。
既にお分かりのことと思うが、3位にくるのは






「英語力」





である。

とはいえ、このコーナーを初めて最初の頃に書いたことであるが、私は英語力と言うのは、それを高めることが留学の目的の一つ(しかもかなり大きなもの)だと考えている。従って、まず留学の前提に「英語力」という極めて抽象的なものを持ってくる、というのはナンセンスと思う。もちろん英語力が全くなければ留学そのものが不可能であるが、そういう人達は大学及び大学院レベルの留学を考えてはいけない。英語の看板が読めないとか、英語のホームページが読めないとか、英文メールが読めない、書けない、などという人は、およそ海外留学に向いていないと言える。


では、そこまで考えておいて、何故ランキングの3位に挙げるのか?
それは私がここまで半年間こちらで生活して、「ああ、こういう準備をしておくべきだったな」と思わされることが、この英語面で存在したからだ。もちろん、私が準備編であげていることからも明らかなように、これは日本にいながら準備出来るものである。が、同時に、「こういうものだ」と知っておれば、こちらに来てからその自体に直面したとしてもショックが少なく、スムーズに対応していけると思われるものである。

それは、


「聞く力」


である。


よく、日本人は「読み書きはできるが、しゃべれない」と、知ったふうなことをいう人がいる。私に言わせれば、現在の日本人は、「読み書きも出来ないし、しゃべれない」となるのだが、それはともかく、読み書きの重要性は言うまでもないだろう。とりわけ現在はコンピューター、メールの時代である。重要な情報も口頭ではなくメールで送られてくる。また、「詳しくは大学のホームページを見ろ」とURLが添付してあることもしばしばである。こういったメール、及びページに英語で書かれた情報を読み取り、理解できなければ何も出来たものではない。

また、分野に限らず、こちらでは英語で書かれた多数の、いや、「無数の」専門書を読まねばならない。私の分野であれば、一週間に400ページ単位の小説を一つ、いや、二つ読み、加えてそれに付随した論文等を読むことが求められることもある。課題をこなすのに、読む能力が不可欠なのは言うまでもないだろう。

また、書く能力も欠かせない。当たり前だが、何かを質問しようとした場合、最近はまず質問用のメールアドレスが設けてある。そこで、質問事項を文章化しなくてはならないわけだが、当然、自分が何を聞きたいのか、わかりやすく相手に伝える必要がある。そして、これまた言うまでもないだろうが、大学院レベルであれば修士論文を書かねばならない。英文15000語、あるいは20000語、これは大学によって違うだろうが、およそA4で5,60枚だ。他にもエッセイやアサインメントなど、書いて出す課題は山ほどある。

こうやってみると、読んで書けなければ、イギリスの大学院でやっていけないのは当たり前と分かるだろう。そして、他の学生や教員と話すためには喋る能力も欠かせない。おやおや、結局あらゆる能力が必要、というわけか。


ところが、である。こうやって書いていると、つい書くのを忘れてしまう能力がある。それが、「聞く力」である。

つい、日本人は奥ゆかしいところがあるため、「喋る」というアウトプットの方に困難を覚えてしまいがちだが、こちらのほうが意外とどうとでもなるものである。ある程度本当の意味で英語が出来る人は(というのは、本当に書いて読むことの出来る人、と言う意味だが)、十分に喋る能力も持っている。要するに、彼らは「しゃべれない」のではなく、「しゃべらない」だけなのだ。ゆえに、自分の中の英語に関する知識を総動員してやれば、なんとかなるものだ。これは大学院の授業レベルでも当てはまる。何しろ、喋る場合は自分に主導権があるのだ。スピーディーに喋る必要はない。自分の頭の中で考えながら、相手に伝わりやすいように、ゆっくりしゃべればよいのである。


が、聞く方はそうも行かない。相手のスピードは、自分ではコントロール出来ないからだ。確かに、一人の友人としゃべっていて、しかしそれが早口過ぎて何を言っているのか分からなかった場合、「Pardon」とか、「Sorry?」とか言って、もう一度ゆっくり言ってもらうことが可能であるし、そうするべきだろう。しかし、クラスルームで、10人単位の人を相手に誰かがした発言に対して、「すまん、分からへんかった」と言うのはちょっと難しすぎる。授業全体の流れを阻害しかねない行為であり、これは流石に嫌がられる。というわけで、こちらとしては、授業中はともかく他者の発言は聞くしかないわけだが、、、





これがキツイ!




正直、イギリス人がイギリス人に向かって話すとき、これほどまでに早口になるものだとは思っても見なかった。
確か、私が最初に授業に出来たときに大いなるカルチャーショックを受けた、という日記を10月に書いたと思う。その時の文面からも、私のショックがありありと伝わってきたことと思うが、ともかく彼らの早口ぶりには心の底から驚かされる。


これまで、私は日本で数々のイギリス人(オーストラリア人もいた)研究者の京都案内などを行ってきたが、どの人も、それなりのスピードで話されるため、特に早口で何を言っているか分からない、という印象はなかった。
面白いもので、その印象自体はこちらに来てそれらの先生と再会した今も、あまり変わってはいない。加えて、私のMAコースは毎週のように担当教員が変わる、という結構特殊なコースなため、数々の教員の授業に出席したのだが、大部分の教員はある程度何を言っているのか分かるスピードでしゃべっていた(但し、例外もあり)。ひょっとすると、教員に求められるスピード、というのがあるのかも知れない。


問題は、学生、特に、若い学生たちの話すスピードである。何あれ!

少し分かるような、分からないような比較例を出すとしよう。
何度か名前を出しているが、私のコースメイトにヴェリティーと言う女性がいる。22歳の、イギリス人らしい感じの、「あの~、写真撮る時、もう少し普通の顔は出来ないんでしょうか?」とつい心の中で言いたくなってしまうような、それなりの美人さんである。彼女は最初に会った時から何を言っているのかついていくのに苦労した。なんというか、素人ランナーがフルマラソンに初参加し、なんとか完走しようとペースを守って走っている、その横を新幹線に乗って追い抜いていくような、そんな印象すら受けるのだ。彼女のスピードにつられてついこちらも凄いスピードで走ろうとし、脱線事故を起こしてしまうのは言うまでもない。

私の研究しているディケンズ作品の中に、Little Dorritという作品があり、その中にフローラ・フィンチングという、早口で有名なキャラクターが出てくる。このキャラクター、文章を読んでも、息継ぎのコンマなどがまるでなく、英語として読もうとすると凄まじく苦戦する女性なのだが(当然、その読みにくさで彼女の話すスピードと取止めのなさを表現している)、そのフローラを彷彿させるくらいである。

まあ彼女の例は多少特殊かもしれないが、それを考慮したとしても、彼ら彼女らが本気で話すと、こちらは本当についていけなくなるくらい早い。

こちらの授業の基本は、フリーディスカッションである(うちの大学の場合)。フリーディスカッションの場合、授業の中心は学生同士が出し合う意見である。つまり、他の学生が何を言っているのか聞き取れなくては、こちらは当然発言出来ず、必然的に授業の中に入っていけないのだ。周りの動きについていけず、とりあえず座ってあっち向いたりこっち向いたりして過ごす2時間。これほどつらいものはない。


というわけで、できることならば準備しておくに越したことはない。
とはいえ、具体的に何をしたら良いのか?


というところで、明日へ続く。
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