イギリスのR大学に留学していた近視読者ことミコーバーの日々の生活を描いたブログ。
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「バイロンVSシェリー」→このタイトルを見て、これが先日のギャグ日「ルノワールVSセザンヌ」のパロディだと分かる人は凄い。
2010年01月14日 (木) | 編集 |
タイトルの元ネタだが、

http://www.youtube.com/watch?v=Xyjg2OGTq-4

になる。先日から放送が開始されたらしい。お時間のある方はどうぞ。
しかし、なづさんの役(ドガ)が、凄まじいことになってる。何、あのキャラ(黒い物体)の作画の楽さ。
さすがギャグ日である。



それはさておき。

いよいよ、春学期の初授業。

っと、その前に今日エッセイを出しておこう、と思い、朝から見直し作業に入る。

が、これが思いのほか大変だった。いくら見直してもミスが見つかる。もうこれで良いだろう、と思い大学の図書館へ行き、そこで印刷前の最終確認を詩ていたら、そこでもなお



Workers tries to ...




というスカミスを発見する始末。その後なんとか提出したが、本当に最後まで大変だった。
まあ何はともあれ無事提出できた、ということで、ホッと一安心である。

そんな精神状態で臨んだ授業は、案の定しんどかった。

今日が最初の授業、ということで、ムチャクチャ深いことはやらなかったが、それでもかなり複雑で、目が回った。
メモ代わりに簡単にまとめておくと、この授業の目的はNation and Empireというタイトルが示すように、大英帝国の帝国主義と、イギリス人としてのアイデンティティ(National Identity)のせめぎあいの問題を扱うことになる。大英帝国が本格的に帝国になっていくのは、18世紀の末から19世紀の始め、ナポレオンの敗北がきっかけとなるが、ちょうどその時代に盛んとなったロマン主義は、帝国主義と実は切っても切れない関係にある。というわけで、まずはロマン派の詩人、特にバイロンとシェリーを導入として扱い、その後に19世紀前半の評論、小説、さらには後半の作品、及び20世紀初頭の作品、と幅広く扱いながら、上記テーマについて考えて行く、というものらしい。

今日は一回目なので、まさにそのロマン主義のバイロンとシェリーについてやった。詩の凄い内容については、先日書いたとおりである。


で、今日授業に出て、改めて思ったのだが、



いやあ、やっぱり全部読まないのね。



という感じだった。

試みに、以下、今回使うとされた作品と本を挙げてみる。


・The Giaour(Byron)
・The Bride of Abydos(Byron)
・Alastor(Shelley)
・Orientalism(特に2章。Edward Said)
・British Romantic Writers and the East(特に1,2章。Nigel Leask)
・Romantic Imperialism(特に6章。Saree Makdisi)



上から3つが詩、下3つが評論である。詩といっても、以前も書いたように、シェリーは15ページ、バイロンはそれぞれ40ページくらいの結構長い詩たちである。

まあ詩はいい。長いし訳が分からないが、一応読むには読んだし(ざーっとね)、実際授業でも一応全て扱った。難しい詩だなあ、ということが分かったので良いとしよう。

問題は、評論×3である。
これも以前書いたことの繰り返しになるかもしれないが、まず物理的にキツイ。オリエンタリズム、特に2章とか書いてあるが、何のことはない、2章だけで100ページ近くある。マクディジーの6章は、言っても30ページくらいだったので、なんとか読めたが(が、結構しんどかった)、リースクにいたっては、目次を見て絶句した。特に1,2章、と書いてあるが、この本全部で3章しかない!(苦笑)。そして、どの章もだいたい均等の長さ=本全体の3分の2を読め、と言っているわけだ。

まさに


なんじゃこりゃー


という感じである。
で、私は、とりあえず詩を全部読んだ後、マクディジーの第6章は全て読み、リースクは、長い1章と2章の中から、バイロンとシェリーについて書いてあるところだけピックアップして読み(これで全部で3,40ページになる)、オリエンタリズムはウィキペディアなどを使ってだいたい何が書いてあるかを調べるだけにして(というか、それが限界)、授業に臨んだ。




結果、どうなったか。




・詩→全て扱う。もちろん、精読はしない(したら大変な事になる)。

・オリエンタリズム→読んできたのはヴェリティだけ(彼女も細かく読んではいない)。かつ、授業で扱ったのは100ページくらいの章のうち、2ページだけ!

・残りの評論二つ。「~はSaidへの反論」「~はSaid一派」というコトバのみ。





あ~らら。



案の定、全部読まなかった。というか、読んだ部分のほうが少なかった。



いや、別にいいんですよそれでも。こちらとしてもエッセイ疲れでロクに頭は回らないし(みんなそうだったようだ)、言うほど読んでないし(スピーディーに眺めただけ)、細かく読まれたらそれはそれで困るところだったのだが、しかし、オリエンタリズム、2ページしか使わないなら、せめてそのページを言及しておいてよ。そうしてくれれば、少なくともそこくらいは読んでおこう、と思うのに。100ページと言われると、他のものとの兼ね合いもあって最初からお手上げだけど、2ページだと、俄然読む気が出てくるからね。


ちなみに、今回の授業に合わせて、だいたい1万円くらいお金を使ったわけです。3つの詩をコピーするのと、評論3冊買うのにね。オリエンタリズムは今後使う可能性があるし、必読書だと思うんdが、あとの2冊はどうなるんだろう。。。



結論:やはり、留学にはお金がかかる。





PS:このように書くと、何やら私がテキストとして指定されたものを授業で読まなかったことに不満をもっているような印象を与えかねませんが、そういうわけではありません。既に書いたように、私としても、真面目に細かく読んでいるわけではないので、授業で細かく読まれたら、逆に困ってしまうのです。また、授業に扱うという理由で、無理矢理にでも普段読まないような評論を読むことにより、それが仮に速読であったとしても、頭の片隅に何かが引っかかることによって、今後思わぬ副産物が生まれる可能性があることは大いに理解しております。実際問題、専門以外の専門書というのは、強制でもされない限り、まず読むことがないので。

というわけで、
幅広く様々なものを読む機会を無理やり与えてくれている、という意味で、非常に有意義と言える。
逆に言うと、これを有意義と思えない人には向かない。
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