イギリスのR大学に留学していた近視読者ことミコーバーの日々の生活を描いたブログ。
二度も言った。親父でも言ったことないのに!!
2011年03月31日 (木) | 編集 |
本日もオリエンテーション。

とはいえ、その前にまずは証明書を確保するためにK大へ。
発行機の前で格闘していると、偶然K島さんに出会う。前にお会いしたのが8日だったから、だいたい三週間ぶり。とりあえずK大に行くのはこれが最後だろうから(注:またしょっちゅ行く気がするが、学生としては最後なのは間違いない)、ちょうど良かった。ここでバスでO大への行き方を教えてもらったのも非常に大きかった。そうか、206系統のバスに乗れば良いのか!

おかげで昨日はタクシーで1300円近くかかった移動が、たったの220円で済んだ。やはり持つべきものは、地理に明るい友人である。

で、肝心のオリエンテーション。
まあ昨日よりは少しはましなことを喋れたかな、と思うのだが、そんな私のことより一つ気になったことが。
実はとある先生がご自身のゼミを紹介する際、


ナウな学問


という表現を



2度


使ったのである。









ナウ










である。










なう










ではない。

うーん。。。。なんというか、「ナウなヤング」というのに近い表現で、超昭和テイストである。うーん。。。



90. What is to me a means of livelihood is to him the merest hobby of a dilettante. (786)31.3

「僕にとって生活の糧であるものが、彼にとっては道楽家のお遊びにすぎないんだよ。」


ホームズの台詞。
推理という作業は、ホームズにとっては仕事である。何しろ、それによって食い扶持を得ているのだから。しかし、マイクロフトはイギリス政府の一員であり(彼こそがイギリス政府である、とも言われているが)、別に生きるために、推理力を自ら行使する必要はない。だが、それでも頭を使い、外に立つ男の姿から、彼がインド帰りの元兵士で、最近妻を亡くして二人の子供を養っている、という具合に、無駄な推理を行うのである。

この台詞をみて、私が長らく気になっているテーマをふと思いついた。すなわち、人間は生活がかかっている方が良いものを生み出せるのか否か、という問題である。私の研究しているチャールズ・ディケンズは、基本的には若い頃の貧乏の恐怖から逃れるために、ともかく書きまくっていた、と考えられている。一方、小説なんて、書く必要もないほど裕福なのに、道楽で書いてみた、というタイプの作家もいる。ヘンリー・ジェイムズなど、そのパターンだろう。どちらも文学史上名前を残した名作家なわけだが、では、結局のところ、「生活のために書く」、というモチベーションと、「ただ好きだから書く」、というモチベーション、この二つのうち、どちらがより凄いものを生み出す力を持っているのだろう?

これは話をもっと広げるならば、「人はプレッシャーのある方がより生産的になれるのか否か?」という問いにつながるだろう。「俺はこの試験に通らないと人生真っ暗だ」とがちがちになりながら試験を受けるのと、「ま、だめならだめで仕方ないや」と気楽な気持ちで試験を受けるのと、どちらが良い結果を生み出しやすいのだろうか?

いずれにせよ、私には全く分からない。
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